ローマの属州としてのガリアとは
ガリア・キサルピナ最初にローマの属州となった「ガリア」はガリア・キサルピナで、アルプス山脈の南からルビコン川、アペニン山脈の北の地域であった。アウグストゥスの時代にガリア・キサルピナは本土イタリアに編入され、以降「ガリア」とは呼ばれなくなった。また、通常「地域としてのガリア」にも含まれない。ガリア・トランサルピナ(ガリア・ナルボネンシス)次いでローマがアルプスの西側で設置した属州がガリア・トランサルピナで、ローマの属州としての「ガリア・トランサルピナ」はカエサルのガリア遠征(ガリア戦争)以前にローマ支配下にあった、地中海岸沿いの現在の南フランスにあたる地域であった。ナルボ(Narboナールボー、現ナルボンヌ)を中心としたこの地域にはギリシア人が多く住んでおり、「ヒスパニアへの通り道」と呼ばれる、ローマにとって重要な地であるイベリア半島への回廊であった。アウグストゥスの時代にこの属州はガリア・ナルボネンシス(GalliaNarbonensisナールボーネーンシス、ナルボのガリア)と名が改められた。
update:2009年08月26日
